行動する
何度転んでも、歩こうとしました。
何度、ひざを擦りむいても
自転車の補助輪をはずして練習しました。
記憶なき幼少期から、我々は
理屈より、まず経験することが成長であると知っていました。
数えてみる
同じ事象を経験した時、ほんの数秒で天地の差でした。
怒りの沸点で発した言葉は「破壊」に進みました。
鎮静してから発した言葉は「共存」に進みました。
精進して参りました。
忙しい?
心を亡くす・・と書いて、「忙しい」です。
反省です。心から反省です・・・。
最近、「忙しいから・・・」という言葉を
よく使っていた自分がいました。
志が高ければ、過密なスケジュールにこそ感謝が溢れ、
「忙しい」という思考は働かないはず。
精進して参ります。
開ける
「あんなにしてあげたのにな・・・」
「どう受け止めてくれているのかな・・・?」
そんな思考も働くときは、無意識の計算が働いていて
相手も自分も心の負担になっているはず。
どんなことであろうと、心から「させて頂いた♪」
と感謝できるよう、精進したいと思います。
全くもって、まだまだです・・・。
気をつかう
先回りして、相手のために、あれこれと環境を整えることを
「気遣い!」と、思っていた時期がありました。
でも、所詮それは
「これだけ思って、~をしてあげたのに・・・
自分の行動に恩をきせたり、見返りを持つ自分がいたのかもしれません。
今日の言葉は、私の活動を応援してくださる方が、
電話でポロっと話された内容です。
感動しました。
まだまだ、修業の道は続きます・・・。
師
今、「自分」という先輩が目の前にいたら
どうなのだろう・・・。
ちょっと、(ほんのちょっとですが・・・)
良いところもあるのですが
間違いなく・・・「NO!」です。
私は「私」という師がいたら、ついて行けないと思います。
でも、これではいけませんね!
自分を客観視することを忘れてしまっては大変!
教えの元、日々、精進するのみです。
機会
辛いと感じることや、納得できないことが続いたとき、
私たちは「試練の時期だ~」と口にしがちです。
すると、
「決心・実力の程度をこころみたすこと」
・・・とありました。
また、「その苦難に耐えること」
ともありましたが、私はちょっと違うかな~
と思っています。
「苦難に感じているその事象は
目指す自分を形成するに用意して頂いた
貴重なドリルですよ。感謝しなさい。
出産の前の陣痛・・・なんですよ。」
と信者様に話してくれました。
55歳で末期癌が発見された父親は、なくなるまでの期間に色んな話をしてくれました。
それをベースにブログを書きだしました。
愛
私たち、人間が想像されたとき、
耳を2つ、与えていただきました。
口は1つ、与えていただきました。
仏教思想では
「聞く」という修行はありますが、
「言う」という修行はありません。
あなたの為に言っているのよ!
ついつい、喧嘩口調で言ってしまいますね?
でも、本当に「相手の為」でしょうか?
その前にじっくりと「聞く」を実行したいものです。
「心から、相手の話を聞く」が大切。
いつ?
後悔を残すのは、結果ではなくて行動しなかったこと。
そのことを人生で散々たる経験をしてきたのに、
まだこの思考が働くときがあります。
今年もあと5ヶ月!
やろうと思っていた全項目に、
今夜、開始日を決めたいと思います。
心の成長
古い習慣の中には、驚くほどの不要物がいっぱい。
慣れ親しんだ心地よさが、甘さを作っていることが
多いと思います。
精進していきます!
受け入れる
ついつい私たちは、「理解してよ~」という想いが
「理解したい」という想いに勝ることがあります。
何よりもまず、自分から、相手を理解できるように
修行を積んでいきたいと思います。
そして法の下、静かな心で相手にも意見ができる
人間になりたいと思います。
(報とは:絶対的な真理を意味しています)
飛び込め
焦っても意味のないときほど
焦っていたように思います。
じっくりと地に足を付け
歩んでいきたいと思います。
鈍感
焦りや孤独、色んな苦しみや迷いに心痛めたら、
光りを見たあとでも、しっかりと、
その痛みを覚えていたいと思います。
慈悲の心は、活字では学べません。
乗り越えられる順番に、
仏様は身分相応の「成長の為の修行」を
与えてくださるんですね。
こころ
怒りの本質は「破壊」であり、
「否定」です。
これじゃあ、想いは伝わらなくて
当然ですね。
静かな心で力強く叱れるよう、
精進していきます。
同じ要素
どうでもいいことには人の心は反応しないはず。
相手の強いエゴを感じとってしまうときは、
自我意識をチェックするタイミング。
嫌だな~と思う人は
自分を向上させてくれるために出現した
「仏様の化身」なのだと
感謝していきたいと思います。
否定
この人はあぁだ・・・・
あの人はこうだ・・・・
と、人の評論家になってしまう時期を
誰しもが通過するのかもしれません。
自分の心と向き合うと、
その通りだなぁ~・・・ち思う愚かな私がいます。
無限
うっかりしていると、
人生、何度でもあるような生き方をしてしまいがち。
目の前に、しっかりと集中していきたいと思います。
恩
人生って、ホントに難しいです。
つい我がでてしまいます。
でも絶対に恩を着せず、
恩を忘れず・・の精神でありたいと願い、
精進してまいります。
今をいきる
先日はこうだったから・・・。
では明日はどうだろう。。。
と「今」に自分がいないことが
よくありました。
「今、ここにいなさい」
素晴らしい教えを再認識です。
何向き?
何事も前向きでないと、成就できないはず。
でも、つい向いているのか否か・・・を
気にしてしまいますね。
「前向きに取り組むこと」その姿勢こそが
向いている、ということなのだと信じています。
初 日
今日、悲しかったこと、腹が立ったことは
残りの人生の初日である「明日」のための学びと理解して
持ち越さないようにしなくちゃいけませんね。
そして、できることを、できるだけ行動していきます。
同じ数?
心が見たいように見ているのですね。
明日は一歩一歩のぼりながら
景色を楽しみたいと思います。
焦らない
「比較」は愚か・・と
分かっているのに、
焦ってしまう
自分がいました。
幸福
内面を輝かせたいと願うのに
つい我々は「比較」という概念が
働くものです。
どの目
人は自分の心を
他人の目に置き換えて
投影するものだと思います。
根
芽を出し、上へ成長する前に
大地にしっかり根を張ることが重要なのに
つい芽が見えなければ不安になるときが
あるかもしれません。
準 備
プライド
時に我々衆生は
プライドを
はき違えています。
最善なとき
私たちは、ときに「辞める」が
「終了」ではなくて
「スタート」であることを
忘れそうになるときがあります。
背中で言う
「笑顔で、元気よくいなさい!」の教育。
間違っていないと思います。
ただ、しかめっ面で言っていませんか?
最高の笑顔で元気よく「今日もよろしくね!」
と常に言える自分でいられるよう
精進してまいります。
人生=登山
気付けばつい、思考ばかりを働かせてしまいますね。
これを仏教では
「文字の法師」と言います。
(=思考ばかりを働かせること)
明日も、行動していきたいと思います。
おかげさま
時に我々は「見返り」や「相手の反応」を期待して
行動してしまうことがあると思います。
そういう時の自分は、淋しいかもしれません。
よく見渡せば、貴方を支えてくれている方々が
沢山いてくれるのです。
ご先祖に感謝、ご縁に頂戴した方に感謝・・・ですね。
笑 顔
特別なことはいらないのでしょうね。
ただただ、あなたが笑顔でいることを願っている方々が
いてくださるのです。
支えられる
我々は何かに依存して、自分の居場所を探しがち・・・。
単体で生きる、道端の雑草より学ぶことが多い・・・。
恩をきせず、見返りを待たず、生きていきたいと思います。
どう捉える?
何を語る
忘れる
しがみついたり、
自己の努力を過信したり、
老いを恐れること。
すべて、生きる弊害になるようです。
今!
今を生きよ。
競争
世の中には「競争」がいっぱい。
唯一、
自分の競争相手が自分であった場合のみ
本当の意味での
最高を引き出せるのだと思います。
できること
些細なことでいいのだと思います。
できることは、もっと一杯あるはず。
小さいことを大切にしていきたいものです。
扉
人生の壁は何枚もやってくる。
その時、避けようとしないで
ちょっとした勇気を出して直視をしたら
ソレはチャンスの扉であることに気付けるようです。
誰のため
しごと
任されて行うより
志した方がいい。
全結果に責任を持てるし、更なる向上を目指せる。
喜びとして。
目的
悩める我々衆生は
人生の目的を見失っているのではなく
ようやく今、
本気で見つけようと思い始めるのだと知る。
切る
勇気を出すのは一瞬でいいんですよ。
ダラダラと現状にいすわるのは、およしなさい。
光と影
影って、光が射していなければ存在できないもの。
濃くクッキリした影ほど、強い光が背後にあるのだから
影ばかり見ないで、振り向けばいい。